識別コード | K-PH03775 |
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写真タイトル | 被爆した電車 |
撮影者(カナ) | 岸田 貢宜(キシダ ミツギ) |
撮影者(英語) | Mitsugi Kishida |
提供者(カナ) | 岸田 哲平(キシダ テッペイ) |
提供者(英語) | Teppei Kishida |
撮影日時 | 1945年8月9日 |
撮影場所 | 大手町三丁目 |
ブロック別 | 5.国泰寺・千田地区 |
爆心地からの距離(m) | 730 |
説明 | 写真館を営んでいた岸田貢宜(当時29歳)は、戦況悪化で休業、中国軍管区司令部報道班員となった。1945年8月6日は、出張先の吉田町(安芸高田市)から急遽戻り、入市被爆。あまりの惨状にシャッターが切れず、終日負傷者の救護にあたった。翌7日から市内の撮影を開始。しかし、13日頃から体調を崩し、39度の高熱や血便の症状を発症した。 被爆した電車。爆心地から730mの中国配電本店(現在の中区小町・現在の中国電力)前付近から南方向に向かって撮影。この電車(651号)は、紙屋町方面に向けて走行中に被爆。斜め左前からの爆風で先頭部が右方向に脱線、屋根にあったビューゲルやドアなどが吹き飛ばされた。車体は、1945年8月11日までに千田車庫へ移動され、1946年3月に復旧。現在も「被爆電車」として活躍している。 画面右側は、救護のために、爆心地へ向かう人たち。 |