識別コード | 9399-0108 |
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資料名 | 請願休暇ニ依ル該當療養患者ニ対スル通報 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 為岡 トシヱ(タメオカ トシエ) |
寄贈者(英語) | Toshie Tameoka |
受入年月日 | 2006/06/22 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 180×255 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の夫、為岡要八(ためおかようはち)さん(当時26歳)は、1945(昭和20)年8月6日、工兵補充隊の入隊日だった。前日より豊栄町の自宅から、妻トシエさんとともに、広島に来ており、部隊の駐屯地である白島北町(爆心地から2000m)でトシヱさんに見送られ、入隊した。その直後被爆、倒壊した兵舎の下敷きとなり、右顔面を中心に大火傷を負った。家族と連絡の取れないまま、広島第一陸軍病院庄原分院で手当てを受け、8月21日、向原から自宅まで歩いて帰宅した。要八さんと別れたあと、蟹屋町の親戚宅に戻る途中被爆したトシヱさんは、怪我を負いながらも自宅に戻り、毎日要八さんの安否を心配し、捜し歩いていた。生きて戻った要八さんは、服は破れ、血がつき、顔も腫れて火傷で皮ふが垂れ下がり、見るも痛ましい姿となっていたが、よく生きて帰ってくれたとトシヱさんはなんともいえない気持ちであった。被爆した人たちが、次々と亡くなり、要八さんも死を覚悟したが、トシヱさんの懸命な看病により回復した。これは、広島第一陸軍庄原分院にて、退院し家に戻れるときにもらったもの。要八さんは、早く家に帰りたい一心で看護婦の検温時には、脇からはずしておいた体温計を渡していた。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | 為岡要八さん(当時26歳)は、1945(昭和20)年8月6日、部隊の駐屯地で妻のトシヱさんに見送られ、入隊しました。その直後、被爆、倒壊した兵舎の下敷きとなり、大やけどを負いました。要八さんと別れたあと、被爆したトシヱさんは、けがを負いながらも自宅に戻り、要八さんの安否を心配し、捜し歩いていました。8月21日、要八さんが、服は破れ、顔も腫れて、やけどで皮ふが垂れ下がり、見るも痛ましい姿で帰宅しました。よく生きて帰ってくれたとトシヱさんはなんともいえない気持ちでした。被爆した人たちが次々と亡くなる中で、要八さんは、トシヱさんの懸命な看病により回復しました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |