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被爆資料

識別コード 9307-0056
資料名 学業成績及調査書
資料名(英語) Report card and survey
寄贈者(カナ) 芳賀 順子(ハガ ジュンコ)、深見 昭子(フカミ テルコ)
寄贈者(英語) HAGA Junko、FUKAMI Teruko
受入年月日 2005/11/21
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 170×250
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 1943(昭和18)年日本医科大学。
広島高等学校2年生だった篠崎道人(しのざきみちと)さん(当時19歳)は、学校への報告のため、8月5日、学徒動員先の山口県から学友とともに広島に戻った。5日の夜は、広島駅近くにあった学友の実家にとまり、朝8時10分に学校へ向かった後被爆、そのまま行方不明となった。学校でも二人の行方不明の情報をなかなか把握できず、5~6日後に郊外に避難していた家族のもとへ、道人さんが広島に来ていたこと、被爆して行方不明であるとの知らせが届いた。父松太郎(まつたろう)さん、母千代乃(ちよの)さんをはじめ、兄弟姉妹たちが手分けをしてひとつきもふたつきも探し回ったが、どこにも手がかりすらなく、現在も行方不明のままである。父松太郎さんも、1947(昭和22)年、鼻血を出し、体がパンパンに腫れ、原爆症と思われる症状で、最後まで道人さんのことを思いながら亡くなった。
これは、家に残されていた道人さんのもの。
ブロック別
展示説明文 学業成績及調査書
芳賀順子さんと深見昭子さんの兄、篠崎道人さんは、当時広島高等学校2年生で、動員先の山口県下松市から戻り、6日朝、宿泊した友人宅から学校へ向かう途中被爆。家族は手分けして捜し続けましたが、見つけることができませんでした。医師を目指していたと思われる道人さんの教科書、ノートなど、道人さんの死を完全に受け入れることのできなかった家族が、大切に保管してきたものです。

寄贈者の手記および寄贈の際の手紙より
8月15日、敗戦のラジオ放送に耳を傾けていた父が、私達の前で急に肩を震わせながら「どうしてあと十日、十日早かったら・・・」父とは決して泣かないものだと思っていた私は、敗戦のわずか十日前に原爆で息子を失った父の『無念の血の涙』を見たのです。
ここ東京都心の私宅で(遺品を)天災等によって失うようなことがあってはと、不安が常にあったことも(寄贈の)一つの理由でした。どうか再びこのような歴史が繰り返されることのないことを祈っております。
展示説明文(英語) Report card and survey
Junko Haga and Teruko Fukami’s older brother, Michito Shinozaki, was a second-year student at Hiroshima Higher School. He had just returned from his mobilization site at Kudamatsu City in Yamaguchi Prefecture and spent the night at his friend’s house. On the morning of the 6th, he was exposed on his way to school. His family split up to search for him continuously around the city, but never found him.
Michito had planned to become a doctor. His family, who could never completely accept his death, carefully preserved his textbooks, notebooks, etc.

(from the donor’s account and a letter at the time of the donation)
My father, listening to the radio announcement of the end of the war on August 15, suddenly began sobbing right in front of us and said, “Why ten days later? If it had been ten days earlier....” I had never seen my father cry, but I saw the deep and bitter tears of a father who lost a son to the A-bomb a mere ten days before the war ended.
I live in central Tokyo and one reason I am donating these items is becasuse I am worried about them being destroyed by a disaster. Above all, I want to avoid any repetition of this tragedy.
資料性質 被爆関連資料

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