menu

トップページ被爆資料血液型証明書

被爆資料

識別コード 9304-0001
資料名 血液型証明書
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 澤田 イチヨ(サワダ イチヨ)
寄贈者(英語) Ichiyo Sawada
受入年月日 1983/01/07
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 60×70/55×80
被爆地(旧町名) 木挽町
被爆地(現町名) 中島町
爆心地からの距離(m) 550
数量 2
内容 市立第一高等女学校2年生の澤田美代子さん(当時15歳)は、学徒動員先であった木挽町付近の建物疎開作業現場で被爆し、行方不明となった。父親の静馬さんと母親のイチヨさん(当時33歳)は、帰らぬ娘を心配し、毎日廃虚となった街を捜し歩いた。8月末に生徒の遺骨を学校に取りに来るようにとの知らせがあり、木口の布袋を受け取った。これはその中に入っていたもの。それでもあきらめきれず9月末まで捜し歩いたが、ついに美代子さんを見つけることはできなかった。女子挺身隊員だった姉の千代子さん(当時18歳)も、8月10日に死亡、10月1日に両親のもとへ遺骨を取りに来るようにと知らせがあり、澤田さん夫婦は二人しかいない子どもを一度に失った。
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
展示説明文 市立第一高等女学校1年生の澤田美代子さん(当時15歳)は、建物疎開作業現場で被爆し、死亡しました。母親が焼け跡を探しまわりましたが、遺体を確認することはできませんでした。8月末ごろ、生徒の遺品の一部が学校に帰ってきているというラジオ放送を聞いて、探しに行き、この袋を受け取りました。
展示説明文(英語) Miyoko Sawada (then 15) was a first-year student at First Municipal Girls High School. She was exposed to the bomb at her building demolition work site. Her mother searched the burned ruins at the site but was unable to identify her body. At the end of August, she heard on the radio that the belonging of some students had been returned to Miyoko's school. She went investigate and received this bag.
資料性質 被爆資料

戻る

Page Top