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被爆資料

識別コード 9302-0101
資料名 死亡証明
資料名(英語) Death certificate
寄贈者(カナ) 小関 美枝子(コセキ ミエコ)
寄贈者(英語) KOSEKI Mieko
受入年月日 2019/6/19
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 180×250
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 広島市立造船工業学校生徒だった牧村健治(まきむら けんじ)さん(当時13歳)は、入院先の広島赤十字病院で食事中、介添えしていた父・太郎(たろう)さん(当時44歳)とともに被爆した。爆風で椅子ごとベッドの下に吹き飛ばされた太郎さんが、ベッド下から這い出すと、窓際のベッドにいた健治さんの全身には、割れた窓ガラスが突き刺さっていた。健治さんは太郎さんの目の前で息を引き取った。
健治さんの兄・幸男(ゆきお)さん(当時16歳)は爆心地から約1500mの自宅で被爆。太郎さんと健治さんを捜し歩いたが見つけることが出来ず、7日の深夜、疎開先へたどり着いた太郎さんと再会した。太郎さんは健治さんの遺体を自転車に乗せ、県立広島第二中学校の校庭まで連れ帰ったという。8日、太郎さんと幸男さんは健治さんの火葬に立ち会い9日に骨を拾い持ち帰った。広島赤十字病院の記録では、入院患者約250人の内109人が重軽傷を負い、5人が亡くなっている。
ブロック別
展示説明文 防空頭巾と死亡証明書
寄贈/小関美枝子
牧村健治さん(当時13歳)は、入院先の広島赤十字病院で食事中に被爆。付き添っていた父・太郎さん(当時44歳)は、爆風で椅子ごとベッドの下に吹き飛ばされました。ベッドの下から這い出すと、窓際のベッドにいた健治さんの全身に、割れた窓ガラスが突き刺さっていました。
午前8時20分、健治さんは、太郎さんの目の前で息を引き取りました。太郎さんは、健治さんの遺体を自転車に乗せて連れ帰り、8日に火葬、9日に骨を拾いました。
この防空頭巾は、当日病室に置いてあったものです。
展示説明文(英語) Air-raid hood and death certificate
Donated by Mieko Koseki
Kenji Makimura (then 13) was hospitalized at Hiroshima Red Cross Hospital. He was having a meal when he was exposed to the bombing. His father, Taro (then 44), was with him at the time, and was blown away by the blast with his chair under the bed. When his father crawled out from under the bed, he discovered that Kenji, who was on the bed near the window, had pieces of glass piercing his entire body.
Kenji died in front of Taro at 8:20 am. Using a bicycle, Taro took Kenji's body back home. He was cremated on the 8th, and they collected his ashes on the 9th.
This air-raid hood was in Kenji's hospital room on that day.
資料性質 被爆関連資料

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