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被爆資料

識別コード 9302-0094
資料名 証明書
資料名(英語) Certificate
寄贈者(カナ) 宮崎 善行(ミヤザキ ヨシユキ)
寄贈者(英語) MIYAZAKI Yoshiyuki
受入年月日 2017/4/18
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 157×111
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 宮崎武二(みやざき たけじ)さんは妻・トシヱさん(当時32歳)の親戚を頼って、1944年(昭和19年)に兵庫から広島に引っ越してきました。娘の康恵(やすえ)ちゃん(当時6歳)と則子ちゃん(当時2歳)も一緒に引っ越してきましたが、息子の善行(よしゆき)さん(当時8歳)は学童疎開で兵庫にいました。
1945年(昭和20年)8月6日、武二さん、トシヱさん、康恵ちゃん、則子ちゃんの4人は原爆のため猿楽町の自宅で焼死しました。善行さんは終戦直後に親戚に連れられて広島の家の焼け跡にやってきましたが、すべて焼けて何も遺品を持ち帰ることができませんでした。
この証明書は宮崎武二さんが8月6日の戦時空襲により猿楽町の自宅で爆焼死したことについての証明書で、昭和20年10月26日付で広島市袋町連合町内会長が発行しました。
家族4人の証明書は、2008年(平成20年)ごろ、親戚から善行さんにとどけられました。
ブロック別
展示説明文 証明書
寄贈 宮崎善行
宮崎武ニさん、トシヱさん(32)、康江さん(6)、則子さん(2)は、猿楽町の自宅で焼死した。
学童疎開中だった長男の・善行さんは、8歳で家族全員を失った。
展示説明文(英語) Certificate
Donated by Yoshiyuki Miyazaki
Takeji Miyazaki, Toshie (32), Yasue (6), and Noriko (2), were burned to death at their home in Sarugaku-cho. Evacuated to the countryside together with his classmates, Yoshiyuki Miyazaki (then, 8) was deprived of all his family members.
資料性質 被爆関連資料

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