識別コード | 9302-0079 |
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資料名 | 死亡報告書 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 二川 一彦(フタガワ カズヒコ) |
寄贈者(英語) | FUTAGAWA Kazuhiko |
受入年月日 | 2014/12/5 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 245×334 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 材木町郵便局長だった二川一衛さん(当時47歳)は、出勤途中に被爆した。 二川家では広島女子高等師範学校附属山中高等女学校1年生だった長女の幸子さん(当時13歳)も、雑魚場町の建物疎開作業現場で被爆したまま帰ってこず、2人を心配した母の広子さん(当時32歳)は、翌日から大八車に布団を敷いて捜しに行った。広子さんは一か月くらい、親戚や子どもと一緒に焼け野原を捜して歩いたが、一衛さんも幸子さんも未だ行方不明である。これは一衛さんの死亡報告書。昭和20年9月14日発行。 矢賀にあった自宅も倒壊し住める状態ではなくなってしまったが、広子さんは愚痴一つ言わず、ただただ黙々と働き、女手一つで5人の子どもを育て上げ、戦後を生き抜いた。しかし、広子さんは亡くなるまで、一衛さんや幸子さんのこと、2人を探して歩いた日々のことを、子どもたちに語ることはなかった。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |