識別コード | 9302-0050 |
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資料名 | 死亡証明 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 髙瀬 二葉(タカセ フタバ) |
寄贈者(英語) | Futaba Takase |
受入年月日 | 2005/11/15 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 250×170 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の三戸二葉(みとふたば)さん(当時18歳)は、母節子(せつこ)さん(当時38歳)と高等女学校3年生だった妹かすみさん(当時15歳)とともに、1945(昭和20)年7月26日に東京から広島に疎開した。8月6日、家族全員が爆心地から1100メートルの大手町八丁目(現在の大手町五丁目)の親戚宅で被爆、節子さんは足に怪我を負いながらも二葉さんとかすみさんを倒壊した家の中から救助した。かすみさんは鏡台のガラス片で怪我をし、胸などが血だらけになっていた。二葉さんとかすみさんは、怪我のひどい節子さんを両側から支えて、火の海となった街から避難した。数日後、節子さんは避難先で足の治療を受けたが、結局、敗血症で9月1日に亡くなった。学童疎開先にいた二葉さんの弟を思い、「坊やに会いたい。もう間に合わない。」が最後の言葉となった。二葉さんとかすみさんも原爆症が出てしばらく親戚宅で療養、一度は医者からもう駄目だといわれるほどの状態であったが回復した。これは節子さんの死亡証明書。1945(昭和20)年11月付。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |