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被爆資料

識別コード 9301-0184
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster victim certificate
寄贈者(カナ) 岸本 良之(キシモト ヨシユキ)
寄贈者(英語) KISHIMOTO Yoshiyuki
受入年月日 2020/11/9
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 92×127
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 岸本正登さん(当時37歳)と、妻・イセコさん(当時33歳)、長男・良之さん(当時9歳)、長女・千穂子さん(当時1歳)の罹災証明書。
食糧の支給や、見舞金、弔慰金、衣料切符が交付されたことが確認できる。
一家は天満町の自宅で被爆。家族5人で朝食の雑炊を食べ、長男の良之さんは次男の貢さん(当時7歳)と2階に上り、南側の障子を空けてパンツ1枚になってウチワを仰いでいる時だった。
左に白、黄、赤、紫、黒の閃光が見えた。
「ヨッちゃん、ヨッちゃん、どこね」と母のイセコさんが呼ぶ声で気がついた良之さんは、頭を下にして埋まっていた。父の正登さんの浴衣が顔面と地上を繋いでおり、正登さんに身体を引き抜かれた時、急に空気を吸ったせいか、急激な痛みが胸に走った。なぜか目も見えなくなっていた(終戦前まで見えなかった)。
次男の貢さんは、倒壊した家の梁に胸を押されたまま助けることが出来なかった。正登さんとイセコさんがどうにか梁を除けようとしたが、火が回ってきて叶わなかった。「ミッちゃん、ごめん!」と叫ぶイセコさんの声を、良之さんは正登さんの背中で聞いた。
正登さんは長男の良之さんを背負って、イセコさんは長女の千穂子さんを背負い、家族は避難先の村を目指し、西へと逃げた。途中、雨が降り始め寒かった。
良之さんは打撲とやけどで、避難先では寝たきりだった。
次男の貢さんの遺骨は、数日後、叔母によって家族の元へ届けられた。
近所は一家全滅が多かったため、「まだ幸運なほうじゃ」と言いながら、正登さんとイセコさんは泣いた。それ以降、貢さんのことを話すことはなかった。
当時1歳だった千穂子さんは、中学生になってから急に体調が悪くなり、白血病と診断されて、入院生活を余儀なくされた。
この罹災証明書はイセコさんが長男の良之さんに渡していたもので、今日まで良之さんが保管していた。
ブロック別
展示説明文 岸本貢くん 当時7歳
天満町 爆心地より約1.2km
家族で雑炊を食べたあと、兄と自宅の2階へ上がり、涼んでいる時に被爆。
倒壊した家の梁に胸を押さえつけられたまま、焼かれました。

家族の罹災証明書
寄贈:岸本良之
貢くんの兄は、打撲と火傷で寝たきりになりました。
当時1歳だった妹は、中学生になってから白血病と診断されました。
展示説明文(英語) Mitsugu Kishimoto Then 7
Temma-cho 1.2km from the hypocenter

After eating zosui, a rice soup dish, with his family, Mitsugu Kishimoto went upstairs with his brother. The atomic bomb hit when they were cooling themselves there.
Mitsugu was burned to death with his chest pressed down by a beam of his collapsed house.

Disaster victim certificate of the Kishimoto family
Donated by Yoshiyuki Kishimoto
Mitsugu’s older brother became bedridden due to bruises and burns. Mitsugu’s then-one-year-old younger sister developed leukemia when she was admitted to a junior high school.
資料性質 被爆関連資料

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