menu

トップページ被爆資料空襲罹災證明書

被爆資料

識別コード 9301-0183
資料名 空襲罹災證明書
資料名(英語) Air-raid victim certificate
寄贈者(カナ) 大畠 順一(オオハタ ジュンイチ)
寄贈者(英語) OHATA Junichi
受入年月日 2020/7/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 67×94
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者の父・大畠房雄さん(当時16歳)の空襲罹災證明書。
8月7日、被服支廠から鷹匠町の自宅に帰る途中、市役所の前で警察官に発行してもらったもの。
当時被服支廠の職員だった房雄さんは、廠内の木造家屋内で被爆し、崩れた建物の下敷きになったが、何とか這い出した。自身は大きなけがをしなかったため、その日は炊き出しのおにぎりを作るなど、被服支廠に逃げてきた被災者の救護活動にあたった。
翌7日、上官から帰宅を許されたため、房雄さんは鷹匠町の自宅に向かった。自宅の焼け跡で、父親の順太郎さん(当時51歳)、母親のシツコさん(当時42歳)、妹の千代子さん(当時6歳)の遺体を見つけた。出勤途中で被爆したと思われる姉の政江さん(当時22歳)は行方不明のまま。建物疎開に動員され鶴見橋付近で全身やけどを負った弟・清さん(当時13歳)は、10日に救護所で再会できたものの、8月11日夜亡くなった。
房雄さんは家族5人を原爆で失った。
ブロック別
展示説明文 大畠房雄さん 当時16歳
出汐町 爆心地から2.67km
広島陸軍被服支廠に勤務。
建物の下敷きになりましたが、なんとか這い出し、負傷者の救護活動にあたりました。
翌日自宅に戻ると、両親と妹は骨になっていました。
救護所で見つけた弟は11日に死亡。

空襲罹災証明書
寄贈:大畠順一
展示説明文(英語) Fusao Ohata Then 16
Deshio-machi 2.67km from the hypocenter
Fusao Ohata was working at the Hiroshima Army Clothing Depot.
Although he was trapped under the collapsed building, he managed to crawl out and then was engaged in relief activities.
He returned home the next day only to find out that his parents and younger sister were burned into ashes.
He found his younger brother at a relief station, who died on the 11th.
His older sister is still missing.

Air-raid victim certificate
Donated by Junichi Ohata
資料性質 被爆関連資料

戻る

Page Top