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被爆資料

識別コード 9301-0175
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster Certificates
寄贈者(カナ) 右近 千枝子(ウコン チエコ)
寄贈者(英語) UKON Chieko
受入年月日 2017/9/5
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 90×124
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 右近文子さん(当時31歳)は、長女の千鶴子ちゃん(当時3歳)と次男の昌雄ちゃん(当時2歳)と共に、爆心地から約1,900メートルの二葉の里の自宅で被爆した。長男の行洋さん(当時4歳)は祖母と一緒に明星院へ仏様の御飯を運んでいるときに被爆した。
幸い家族は無事であったが、文子さんも行洋さんも亡くなるまで被爆時のことはほとんど語らなかった。
戦後、行洋さんと結婚した寄贈者の千枝子さんも、「被爆後、皆で防空壕に入ったから黒い雨には降られずにすんだ」「被爆後は、何にもなくなってしまった」という話をポツンポツンとすることはあっても、極力原爆の話をしたがらない行洋さんたちに、聞けば辛い思いをさせるのが分かっていたから、あえて何も聞くことはなかった。
この罹災証明書は、文子さんも行洋さんも亡くなった後、ずいぶん経ってから行洋さんの遺品の中から見つかった。被爆から72年後のことだった。
昭和20年8月7日付。東警察署長発行。
表には「東城驛」の印が押されており、被爆後、文子さんたちは、夫の義朗さんの実家のあった東城町へ逃れたのかもしれない。また、裏面には味噌や食糧の配給済みの印、厳島町役場の印がある。
ブロック別
展示説明文 罹災証明書
寄贈 右近千枝子右近文子さん(31)は、長女(3)、次男(2)と共に、二葉の里の自宅で被爆。
長男(4)は自宅前にいたが、幸いにも全員無事だった。
裏面には、味噌や小豆や米穀、モンペやシャツの配給を受けたことが記されている。
展示説明文(英語) Disaster Certificates
Donated by Chieko Ukon
Fumiko Ukon (31) was exposed to the bombing together with her eldest daughter (3) and second son (2) in their home in Futaba-no-Sato.
Her eldest son (4) was in front of the home, but fortunately, they were all safe.
On the backs of these certificates was noted that she had received rations of miso, adzuki beans, rice, monpe (work pants), and shirts.
資料性質 被爆関連資料

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