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被爆資料

識別コード 9301-0172
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster Certificate
寄贈者(カナ) 濱本 隆夫(ハマモト タカオ)
寄贈者(英語) HAMAMOTO Takao
受入年月日 2017/5/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 86×129
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 水主町
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m) 1200
数量 1
内容 寄贈者の祖父・博登(ひろと)さんの罹災証明書。当時、三菱重工業株式会社広島造船所の技師だった博登さんは、水主町の社宅1階の玄関で出勤前にゲートルを巻いていた際被爆したが、奇跡的に無傷で倒れた家の下から脱出した。博登さんの妻の房子さんは玄関前の庭掃除をしていた際、爆風で爆心とは反対方向に30m飛ばされると同時に熱線によって大やけどを負ったが、博登さんとともにすぐに家の下敷きになった家族の救出にあたった。6歳になったばかりだった長男・尚節(たかのり)さんは家の下敷きになり、「お母ちゃん!お母ちゃん!」と泣き叫んでいたが、すぐにその声は聞こえなくなった。
数日後、博登さんは自宅の焼け跡から尚節さんの焼けた骨を拾い集めた。博登さんはその後、被爆の影響で体調不良が続いた。昭和32年には肝機能障害を患い、原爆病院に入院した時期もあった。昭和56年、悪性リンパ腫が原因で死去。博登さんは、亡くなるまで家族には一度も尚節さんの最期について語らなかった。
この罹災証明書は、博登さんと房子さんの死後、家族が博登さんの書斎を整理している時に本棚の引き出しで大事に保管されていたのを発見したもの。
上記のエピソードは、二人の死後、尚節さんと同じ部屋で、その日偶然呉から来ていて被爆した尚節さんの叔母・井上安江さん(当時16歳)や房子さんの友人から家族が聞いたものである。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 罹災証明書
寄贈 濱本隆夫
濱本博登さんは水主町の自宅で被爆した。倒れた家屋の下敷きになったが、屋根瓦を破って脱出。数日後、自宅の焼け跡から息子の尚節ちゃんの骨を拾い集めたが、亡くなるまで一度もその最期については語らなかった。
展示説明文(英語) Disaster Certificate
Donated by Takao Hamamoto
Hiroto Hamamoto was exposed to the bombing at his home in Kako-machi. Although he was buried under his collapsed home, he got out of there after breaking roof tiles. A few days later, he picked up bones of his son Takanori at the ruins of the burned-down home. He died without ever speaking of his son’s death.
資料性質 被爆関連資料

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