識別コード | 9301-0163 |
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資料名 | 罹災証明書 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 國分 良德(クニワケ ヨシノリ) |
寄贈者(英語) | KUNIWAKE Yoshinori |
受入年月日 | 2016/5/19 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 90×125 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 宝勝院住職だった寄贈者の父・國分智德(ちとく)さん(当時46歳)の罹災証明書。1945年(昭和20年)8月7日付。東警察署発行。智德さんは、警防団の班長だったため、夜半の空襲警報で出動し、早朝に帰宅、本堂で仮眠中に被爆した。倒壊した本堂の下敷きとなったが脱出し、同じく自宅本堂で被爆した山陽中学校4年生の次男・良德(よしのり)さん(当時16歳)、三男・義章(よしふみ)さん(当時11歳)、四女・慶子(けいこ)さん(当時4歳)とともに、炎の中を避難した。本堂にいた妻・ハルコさん(当時41歳)は、四男・宥信(ひろのぶ)さん(当時1歳7か月)を抱いたまま、三女・和子(かずこ)さん(当時7歳)は二人のそばで、建物の下敷きになって死亡した。後日、3人は全焼した本堂から遺骨で発見された。また、小網町の建物疎開作業現場(爆心地から900m)に学徒動員されていた安芸高等女学校2年生だった次女・郁子さん(当時14歳)は、全身やけどを負い、避難先で亡くなった。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |