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被爆資料

識別コード 9301-0103
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster Certificate
寄贈者(カナ) 中常 正登(ナカツネ マサト)
寄贈者(英語) Masato Nakatsune
受入年月日 2005/08/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 90×120
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 中常正登さん(当時27歳)は、建物疎開作業現場へ向う途中、爆心地から約1,900メートルの広島駅のホームで被爆した。知人と談笑していたときのことで、B29の姿を見たと思った次の瞬間、あたりは真っ暗になり数メートル先の線路まで吹き飛ばされていた。しばらくして気がつくと、顔、肩、足と熱線を浴びた部分に火傷を負っていた。その後、正登さんは舟入川口町の自宅へ向かった。その途中、建物疎開先で被爆し、大やけどを負った父親に出会い、ともに自宅へ戻ったが自宅は完全に倒壊していた。自宅にいた妻のイツヱさんは天満川西岸に逃れており、一家は再会することができた。3人は自宅付近へ戻り、そこで数日を過ごしたが、大やけどを負っていた父親は8月20日に亡くなった。
ブロック別
展示説明文 中常正登さん(当時27歳)は建物疎開作業現場へ向う途中、爆心地から約1,900メートルの広島駅のホームで被爆。B29の姿を見たと思った次の瞬間、あたりは真っ暗になり数メートル先の線路まで飛ばされて、熱線を浴びた部分にやけどを負いました。その後自宅に向かった正登さんは、途中、建物疎開作業中に被爆し大やけどを負った父親に会い、ともに自宅へ戻りました。自宅は倒壊していましたが、妻のイツヱさんは幸いにも自宅から逃れており無事。一家は再会を喜びましたが、父親は8月20日に亡くなりました。
展示説明文(英語) Masato Nakatsune (then, 27) was on his way to his building demolition worksite when he was exposed on the platform at Hiroshima Station, roughly 1,900 meters from the hypocenter. Just when he saw the B29, everything turned black. Masato was thrown onto the tracks several meters in front of him and burned on the exposed part of his flesh. Heading home, Masato ran into his father, who was terribly burned while demolishing buildings. The two returned together. The house had fallen down, but fortunately, Masato's mother Itsue had escaped the house unharmed. The family was overjoyed to be reunited, but Masato's father died on August 20.
資料性質 被爆関連資料

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