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被爆資料

識別コード 9301-0071
資料名 罹災証明書
資料名(英語) Disaster Certificate
寄贈者(カナ) 冨田 美栄子(トミタ ミエコ)
寄贈者(英語) Mieko Tomita
受入年月日 2003/06/05
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 95×125
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名) 観音町
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 冨田美栄子さんの罹災証明書。美栄子さんは、義妹の梅代さんと共に観音町の自宅で被爆した。爆風で家の壁や屋根は吹き飛ばされ、大怪我を負った美栄子さんは梅代さんと共に逃れ、江波へ収容された。観音町の実家で被爆した両親の高橋梅次郎さんとテルさんは行方不明のまま。妹の俊子さん(当時17歳)は、被爆後しばらくして、白布で押さえても口から滴り落ちるほどの血を吐き、飲ませた水も喉を通らないまま、水を求めつつ9月11日に亡くなった。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 冨田美栄子さんは、爆心地から約1,300メートルの観音町の自宅で被爆し、大けがを負いました。美栄子さんは一命を取り留めましたが、近くに住んでいた両親は行方不明のままで、妹の俊子さん(としこ 当時17歳)さんも大量の血を吐き、苦しみながら亡くなりました。
平成15年度寄贈資料新着展キャプション
展示説明文(英語) At home in Kan-on-machi, about 1,300 meters from the hypocenter, Mieko Tomita was gravely injured by the atomic bombing. She managed to survive, but her parents, who lived nearby, were never found. Her younger sister, Toshiko (then, 17), vomited a large amount of blood and died in agony.
平成15年度寄贈資料新着展キャプション
資料性質 被爆関連資料

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