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トップページ被爆資料習字(「古き都行く春」)

被爆資料

識別コード 9299-0363
資料名 習字(「古き都行く春」)
資料名(英語) Calligraphy
寄贈者(カナ) 浜田 平太郎(ハマダ ヘイタロウ)
寄贈者(英語) Heitaro Hamada
受入年月日 2017/10/11
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 262×370
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 県立広島第一高等女学校1年生の浜田孝子さん(当時12歳)は、学徒動員先の小網町で被爆しました。古田町の自宅で被爆した母・かとさん(当時51歳)と兄・平太郎さん(当時15歳)は、孝子さんが己斐国民学校にいるとの知らせを受けました。平太郎さんは、大八車を必死で探し、一目散に走って迎えに行きました。教室を巡り、妹の名前を呼び続けましたが、なかなか見つからず、あきらめて帰ろうとしていると、全身やけどでわずかな着衣を身に着けた少女が、最後の力を振り絞って平太郎さんに近づいてきました。わずかに残ったモンペの柄に気付いた平太郎さんが「孝子か」と声をかけると、少女はこくりとうなずきました。平太郎さんは痛がる孝子さんを励ましながら自宅に連れ帰りましたが、孝子さんは7日明け方に息を引き取りました。
この習字は孝子さんが古田国民学校6年生の時に書いたもので、かとさんが大事に保管していたものです。平太郎さんと孝子さんの姉・照代さん(当時21歳)も、日本興業銀行広島支店(爆心地から200m)へ出勤後に被爆し、現在も行方がわかっておらず、かとさんは二人の娘を原爆で亡くしました。
ブロック別
展示説明文 習字
寄贈 浜田平太郎
浜田孝子さん(12)は、動員先の小網町で被爆。
己斐国民学校にいると知らせを受けた兄は、大八車を必死に探し、迎えに走った。
「浜田孝子、浜田孝子、第一県女の浜田孝子」
死に物狂いで呼び続けた妹の顔は火傷でパンパン、目は糸のように細くつぶれ、手の皮はめくれて垂れ下がっていた。
自宅に連れて帰るが、7日の明け方、死亡。
展示説明文(英語) Calligraphy
Donated by Heitaro Hamada
Takako Hamada (12) was exposed to the bombing in Koami-cho, where she had been mobilized for labor service.
Informed that she was at Koi Elementary School, her elder brother looked for a handcart desperately and rushed to the school to pick her up.
“Takako Hamada! Takako Hamada! Takako Hamada of the First Pref. Girls School!”
After continuing to shout so frantically, he finally found his younger sister, with her face swollen completely due to burns, with her eyes almost stuck together like a thin thread, and with her arm skin peeled off and hanging down.
He took her home, but she died at dawn on the 7th.
資料性質 被爆関連資料

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