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トップページ被爆資料絶筆が残された黒板(写真プリント)

被爆資料

識別コード 9299-0343
資料名 絶筆が残された黒板(写真プリント)
資料名(英語) Blackboard with last message(photo)
寄贈者(カナ) 園尾 博子(ソノオ ヒロコ)
寄贈者(英語) SONOO Hiroko
受入年月日 2015/2/19
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 100×145
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者の姉で広島市立第一高等女学校2年生だった戸田雅子(とだまさこ)さん(当時13歳)が1945(昭和20)年8月5日に自宅台所の家族で伝言板として使っていた黒板に書き残した絶筆(の写真)。学徒動員先である木挽町(爆心地から550m)の建物疎開作業に出掛け、帰ってこなかった。遺体も見つかっていない。黒板の左側は、広島市立第一高等女学校の平田教諭が書いたもの。
被爆翌日に、父・ほこ夫さんと姉の明子さんが、帰らぬ雅子さんを捜しに行くと、足元に布のかばんが飛んできた。見ると「戸田雅子」と名札がついていた。
結局遺体すら見つからず、このかばんをお骨代わりに墓に納めた。

姉・明子さんの手記より
「8月5日の作業が暑くてしんどいから、明日の作業は休む」という妹に、「作業を休む者は非国民よ」と叱咤激励して出勤させた悔いがまた蘇る。
ピッカドン「我が家に直撃弾が落ちた。早く防空壕へ」大火傷の父と半日防空壕で身を潜める。夕方帰らぬ妹を案じて市女へ行く。崩れた校舎に血のにじむ包帯姿の先生が「10人もの先生が引率しておられるのです。安全な場所へ避難させていらっしゃる」との返事に安心して帰宅する。
翌朝、「作業は誓願寺の土塀あたり」と言っていた妹の言葉を思い出し、住吉橋を渡り、中島小学校から県庁へと進む。県庁前の広場は、牛・馬・大人・子どもの死骸が入り乱れて、足の踏み場も無い。防火水槽には茹で上がったような真っ赤な裸の死体が仁王立ちに立ったり、水槽へ入ろうと足をかけたり。どの死体も腹が裂けて内臓が流れ出ている。誓願寺に近づくほど、少年少女の折り重なった裸の死骸が増える。「この辺りは二中」「この辺は安田」「ここらは市女」と父兄の方が叫んでいる。髪も焼け、口は裂け、目の飛び出た死体は男女の識別すら難しい。何日も何か月も探すも見つけることはできなかった。
ブロック別
展示説明文 絶筆が残された黒板(写真)
寄贈/園尾 博子氏 (戸田雅子さんの妹)
広島市立第一高等女学校2年生の戸田雅子さん(当時13歳)が、昭和20年8月5日に、家族で使っていた伝言板に残した言葉です。
雅子さんは、動員先だった木挽町の建物疎開作業に出掛け、未だ帰ってきていません。
(雅子さんの姉・明子さんの手記より)
「8月5日の作業が暑くてしんどいから、明日の作業は休む」という妹に、
「作業を休む者は非国民よ」と叱咤激励して出勤させた悔いがまた蘇る。
明日雅子は帰りが遅くなります。
展示説明文(英語) Blackboard with last message(photo)
Donated by Hiroko Sono (Masako's younger sister)
This is the last message Masako Toda (then, 13), a second-year student at First Municipal Girls High School, wrote on her family's message board on August 5, 1945. Masako went to her building demolition worksite in Kobiki-cho and has not returned yet.
(From the memoir of Masako's older sister Akiko)
"I'll take a day off from work tomorrow because the work in hot weather was too hard today," said my sister on August 5. I encouraged her to go to work by saying, "Taking time off from work is unpatriotic." My regret repeatedly comes back to me.
“Masako will come back late tomorrow.”
資料性質 被爆関連資料

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