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被爆資料

識別コード 9299-0116
資料名 般若心経
資料名(英語) Transcription of Hannya Shinkyo
寄贈者(カナ) 伊藤 美子(イトウ ヨシコ)
寄贈者(英語) Yoshiko Ito
受入年月日 2006/11/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 250×210
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 県立広島第一高等女学校1年生の関岡敏子さん(当時13歳)は爆心地から約800メートルの土橋付近の建物疎開作業現場で被爆。現在も遺体は見つかっていない。敏子さんを最後に見た友人によると、「敏子さんは作業現場にうずくまり、頭から血を流していた。一緒に逃げようといったが逃げられなかった。」ということだった。これは、母親の愛子さんが敏子さんを思って書いたもの。
ブロック別
展示説明文 県立広島第一高等女学校1年生の関岡敏子さん(当時13歳)は、爆心地から約800メートルの土橋付近の建物疎開作業現場で被爆し、行方不明になりました。敏子さんを最後に見た友人は、「敏子さんは作業現場にうずくまり、頭から血を流していた。一緒に逃げようといったが逃げられなかった。」と話しています。これは、母親の愛子さんが敏子さんを思って書いたものです。
展示説明文(英語) Toshiko Sekioka (then, 13) was a first-year student at First Hiroshima Prefectural Girls High School. Toshiko was exposed to the bomb near Dohashi, approximately 800 meters from the hypocenter at her demolition worksite. She was never found. A friend who was among the last to see her said "Toshiko was crouching down at her worksite with blood running from her head. I urged her to run away with us but she couldn't." This was written by Toshiko’s mother Aiko.
資料性質 戦後資料

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