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被爆資料

識別コード 9299-0105
資料名 遺言状
資料名(英語) Last Will and Testament
寄贈者(カナ) 木村 秀男(キムラ ヒデオ)
寄贈者(英語) KIMURA Hideo
受入年月日 2005/04/05
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 147×225(便箋)、95×145(封筒)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 2
内容 木村豊さん(当時18歳)は、防衛召集を受け爆心地から約1,100メートルの広瀬北町の広瀬国民学校に駐屯中に被爆した。父親の定吉さんらが豊さんを捜して草津浜町の自宅から市内へ入り、幾日も幾日も、市内のありとあらゆる救護所を探しまわったが、豊さんはなかなか見つからなかった。ここが最後だと立ち寄った広瀬国民学校の講堂の焼け跡で、定吉さんらは頭部と胴体だけになった痛ましい姿の豊さんの遺体を発見し、焼け跡で充分な燃料も手に入らない中、豊さんを荼毘に付した。これは豊さんが書き残していたもの。
ブロック別
展示説明文 木村秀男さんの兄、豊さんは、防衛招集により駐屯していた広瀬国民学校で被爆。父親の定吉さんらが幾日も市内を捜し回りましたが、豊さんはなかなか見つかりませんでした。ここが最後と立ち寄った広瀬国民学校講堂の焼け跡で、頭部と胴体だけになった痛ましい姿の豊さんが発見され、焼け残った上着のポケットには、姉に買ってもらったこの財布が入っていました。見覚えのある財布で遺体を確認した定吉さんらは、その場で豊さんを荼毘に付しました。
この遺言状は、豊さんが書き残したもの。目が悪く予科練不合格となった豊さんは、当時2歳だった下の弟、光義さんに夢を託し、航空兵に志願してくれと記しています。
展示説明文(英語) Yutaka, Hideo Kimura's older brother, was exposed at Hirose Elementary School, where he was stationed when he was drafted for national defense. Their father, Sadakichi, searched the city for Yutaka for days, but never found him. The last place he looked was under the rubble of the auditorium of Hirose Elementary School. The painful sight he encountered was Yutaka's head and torso. In the pocket of his shirt was the wallet Sadakichi recognized as having been bought by Yutaka's sister. Sadakichi thus identified his son and cremated him on the spot.
Yutaka left this Last Will and Testament. He had failed the Navy pilot exam due to poor eyesight. He entrusted his dreams to his youngest brother Mitsuyoshi, then two, asking him to enlist as a pilot.
資料性質 被爆関連資料

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