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トップページ被爆資料家に残されていた習字

被爆資料

識別コード 9299-0101
資料名 家に残されていた習字
資料名(英語) Calligraphy left at home
寄贈者(カナ) 茶本 裕里(チャモト ユリ)
寄贈者(英語) Yuri Chamoto
受入年月日 2004/10/01
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 240×330
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 県立広島第一中学校1年生の三重野杜夫さん(当時12歳)は、学徒動員先である雑魚場町(現在の国泰寺町)の建物疎開作業現場(爆心地から1200m)で被爆した。父定夫さんは、杜夫さんを捜すため、昼前に市中心部へ向かったが、猛火のため中心部へ入ることができず、午後四時になって母の松代さんとともに、再び市内に向かい、学校にたどり着いた。しかし、大やけどを負って倒れている生徒たちの中に、杜夫さんの姿はどこにもなかった。来る日も来る日も家族は杜夫さんを捜し歩き、9日には、7日に杜夫さんと出会った、冷たい水をくださいといっていたとの情報を得たが、とうとう遺体すら見つけることはかなわなかった。これは家に残されていたもの。
ブロック別
展示説明文 三重野杜夫さん(当時12歳)は、建物疎開作業現場で被爆。昼前に父親の定夫さん(さだお)が捜索に向いましたが市内は猛火で入ることができず、午後4時ごろ母親の松代さん(まつよ)とともに再び入市、ようやく学校へたどり着きましたが、大やけどを負って倒れている生徒たちの中に杜夫さんの姿はありませんでした。家族は来る日も来る日も捜し歩きましたが、杜夫さんを見つけることは出来ませんでした。
展示説明文(英語) Morio Mieno (then, 12) was exposed to the bomb at his demolition worksite. His father Sadao went to search for him before noon, but the ferocious flames enveloping the city stopped him in his tracks. That afternoon about 4:00pm, he returned to the city with his wife Matsuyo. They eventually found their way to the school, but were unable to find any sign of Morio among the badly burned students lying on the grounds. The family continued to search day after day, but they never found Morio.
資料性質 被爆関連資料

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