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トップページ被爆資料依頼状

被爆資料

識別コード 9206-0163
資料名 依頼状
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 岩崎 肇(イワサキ ハジメ)
寄贈者(英語) IWASAKI Hajime
受入年月日 2013/11/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 363×257
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 2
内容 京都帝国大学教授の菊池武彦氏から、畑賀病院長の岩崎祐治医師へ、1947年(昭和22年)4月に開催された全日本医学会で原子爆弾症の臨床報告をするための協力を依頼するもの。1947年(昭和22年)2月9日付。寄贈者の父で、日本医療団畑賀病院の医師だった祐治さん(当時42歳)は、1945年(昭和20年)8月6日、続々と畑賀村(現在の安芸区畑賀町)にやってきた負傷者の治療を行った。畑賀病院では、負傷者は入院と外来に区分され、重病人は畑賀国民学校に収容し、手術は畑賀病院で行われた。病院と学校の往復で、なかなか家に帰ることができなかった祐治さんのために、祐治さんの子どもたちは毎日交替でお弁当を届けた。生前の祐治さんは、当時の事について多くを語ることはなかったが「ベットが足りず国民学校の廊下に負傷者を寝かせて、薬品も足りず酷かった。あっちもこっちも死んでいった。」と話していたという。
ブロック別
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 戦後資料

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