トップページ被爆資料「広島市原子爆弾空襲前後に於けるツベルクリン反応比較(広島市立高等女学校生徒)」
識別コード | 9206-0154 |
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資料名 | 「広島市原子爆弾空襲前後に於けるツベルクリン反応比較(広島市立高等女学校生徒)」 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 岩崎 肇(イワサキ ハジメ) |
寄贈者(英語) | IWASAKI Hajime |
受入年月日 | 2013/11/26 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 179×254 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の父で、日本医療団畑賀病院の医師だった岩崎祐治さん(当時42歳)が記録したもの。原爆前後でツベルクリンの反応が変化していることを記している。祐治さんは、8月6日、続々と畑賀村(現在の安芸区畑賀町)にやってきた負傷者の治療を行った。畑賀病院では、負傷者は入院と外来に区分され、重病人は畑賀国民学校に収容し、手術は畑賀病院で行われた。病院と学校の往復で、なかなか家に帰ることができなかった祐治さんのために、祐治さんの子どもたちは毎日交替でお弁当を届けた。生前の祐治さんは、当時の事について多くを語ることはなかったが「ベットが足りず国民学校の廊下に負傷者を寝かせて、薬品も足りず酷かった。あっちもこっちも死んでいった。」と話していたという。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 戦後資料 |