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被爆資料

識別コード 9203-0061
資料名 軍隊手帳
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 砂川 三郎(スナカワ サブロウ)
寄贈者(英語) SUNAKAWA Saburo
受入年月日 2016/6/2
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 90×128
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 暁第一六七一〇部隊の砂川三郎さん(当時22歳)は、比治山下の兵舎で被爆した。二階にあった部屋に戻るため階段を上りきった瞬間、目のくらむような閃光が走り、熱風が押しよせ、大爆発音がした。
床に伏せたと同時に、兵舎が崩れる音がし、気を失った。下敷きになった人の救助作業の音で気がついたが、助けを求めるにも息が苦しく言葉にならず、体が動かなかった。着衣の表面が露出していたため、救援され顔と体をなでると、無数のガラス破片が突き刺さり、ほこりと血でヌルヌルしていた。腰はズキンズキンと痛んだ。再び空襲のおそれがあるとのことで、比治山の防空壕に避難し、重症の親友を仮設の病院に送りとどけて一息ついた頃、負傷者達がぞくぞくと集まってきた。治療法もわからず、アカチンとスピンドル油(機械に使う油)を手、足、顔へ塗って、包帯をするだけで精一杯だった。
目の前で乳呑み児を抱えた若い母親がへたへたと座り込み、ハンカチに水をひたしてやると一口二口美味そうにのみ、我が子をしっかり抱きしめ、息絶えた。日も沈みかけた頃、市内への救援と橋梁警備の任務につくため、比治山を下りた。丸焦げの残骸で停止していた電車の乗客はすべて死体で、まるで「棺桶」だった。勤務を終えると、腰が痛く、だるくて寝付いてしまった。すごい熱で七日七晩うなされた。戦友は血を吐いて、寝ずの介抱の甲斐もなく亡くなった。
その後終戦を迎え、砂川さんは、地元の群馬に戻ったが、また体調を崩し、半年ほど療養することになった。
ブロック別
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 戦中資料

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