識別コード | 9202-0007 |
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資料名 | 手紙 |
資料名(英語) | Letter |
寄贈者(カナ) | 立石 充治(タテイシ ミツジ) |
寄贈者(英語) | Mitsuji Tateishi |
受入年月日 | |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 250×180 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 3 |
内容 | 県立広島工業学校1年生の立石静徳さん(当時13歳)が、父親の充治さん(当時42歳)に宛てた手紙。比婆郡西城町の自宅を離れ土手町に下宿していた静徳さんは、学徒動員で中島新町の建物疎開作業に出たまま行方不明になった。充治さんは、静徳さんをさがして市内に入り、懸命に息子を捜したが、結局遺骨すら見つけることができなかった。学徒動員のため広の寄宿舎にいた姉の頼子さんは、被爆後自宅に戻ったとき、充治さんが「静徳はもうだめじゃろう。母さんも病気じゃし…。あの子は親孝行な子じゃったのに…」とつぶやいていたのが忘れられない。以前から病床に伏していた母親の春美さんは、家族が静徳さんの死を確信した8月末頃、息を引き取った。 手紙の内容(一部) 「本校の諸先生方も上級生方も大変かわいがって下さいます。先日、入学以来一週間目に成績を発表されたのによると、機一乙が一番でしたので大変うれしくてたまりません。もう一度かえったので、安心して勉強も出来、勉強がたいへんゆかいです。物象・数学・教練・体操・英語等がすきです。又売店のおばさんが大変かわいがって下さいます。 では元気でね。お母ちゃんよく養生して早く病気を治してね。たのみます。自分の所へたべ物はいりませんから、父・母・祖母の三人でたべて下さい。」 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |