識別コード | 9201-0174 |
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資料名 | 集団疎開日記 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 新田 英明(ニッタ ヒデアキ) |
寄贈者(英語) | NITTA Hideaki |
受入年月日 | 2021/4/15 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 180×255 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 光道学校5年生の新田正紀さん(当時11歳)は、左官町の自宅(爆心地から470m)で、母・タメ子さん(当時39歳)と共に被爆し、亡くなった。 これは正紀さんが北広島町の仙徳寺に学童疎開していたときの日記。1945年(昭和20年)4月12日~4月22日までの11日間が記されている。初めての寮生活で恥ずかしかったこと、蛙や亀をとって遊んだり、野菜やわら木を運んだこと、帰りたくなって皆で手紙を出したことなどが綴られている。原爆により、疎開児童の多くが親や兄弟を失った。 新田家では、崇徳中学校2年生の兄・孝洋さん(当時13歳)も八丁堀(爆心地から800m)の建物疎開作業現場で被爆し亡くなった。 一人残された父・孝作さん(当時40歳)は、後年当時を振り返り、家族が皆死んでしまい、自分も死のうと思ったが、自分が死んでしまっては誰が故人の供養をするのかと、辛いけれど生きようと思ったのだと語った。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |