識別コード | 9201-0072 |
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資料名 | 日記 |
資料名(英語) | Diaries |
寄贈者(カナ) | 宍戸 清子(シシド セイコ) |
寄贈者(英語) | Seiko Shishido |
受入年月日 | 2004/07/28 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 250×180 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校2年6組の宍戸八重子(やえこ)さんの昭和19年6月27日から12月20日までの日記。八重子さん(当時14歳)は、爆心地から1200mの学徒動員先である雑魚場町の建物疎開作業現場で被爆した。捜しに行った父の倉吉(くらきち)さんが名前を呼ぶと、「お父さん」と応えた。楽々園まで運んでもらう途中、うなされながら、「気をつけ!礼!」と号令をかけていた。倉吉さんがずっと付き添って看病していたが、8日亡くなった。母親のハヤノさんは、「当日頭が痛いから休みたい」と言っていた八重子さんを無理に作業に行かせたことを後悔していた。日記は、八重子さんの兄幸吉(こうきち)さんが保管していたもの。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校2年6組の宍戸八重子さんの1944(昭和19)年6月27日から12月20日までの日記です。八重子さん(当時14歳)は、爆心地から約1,200メートルの雑魚場町の建物疎開作業現場で被爆。捜しに行った父親の倉吉さんが名前を呼ぶと、「お父さん」と応え、楽々園まで運んでもらう途中、八重子さんはうなされながらも「気をつけ!礼!」と号令をかけていました。八重子さんは看病のかいもなく、8日に亡くなりました。母親のハヤノさんは、「当日頭が痛いから休みたい」と言っていた八重子さんを無理に作業に行かせたことを生涯後悔していました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |