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トップページ被爆資料広島県師範学校附属小学校卒業記念帖(昭和14年3月)

被爆資料

識別コード 9199-0322
資料名 広島県師範学校附属小学校卒業記念帖(昭和14年3月)
資料名(英語) Graduation Commemorative Book
寄贈者(カナ) 松脇 啓(マツワキ アキラ)
寄贈者(英語) MATSUWAKI Akira
受入年月日 2020/12/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 233×157
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者の兄・松脇等(まつわき ひとし)さんのもの。修学旅行の写真などが貼ってある。
松脇さん一家は全員が被爆。等さん(当時18歳)は被爆当時、広島工業専門学校の生徒で、当日の朝早く「本屋へ行く」と出ていったまま行方不明となった。長い間消息が分からなかったが、警察の記録が公開されたときに堀川町の廣文館書店で遺体が収容された、とあった。
寄贈者の啓(あきら)さん(当時16歳)は、修道中学校4年生で、動員先の江波の三菱重工業㈱広島造船所で被爆。炸裂の瞬間青白い光を感じ、爆風で倒れた。その後、這うようにして建物の外へ出たが、何が起きたのかはまったくわからず、放心状態で座り込んでいた。
しばらくして自宅に戻るようにという指示があり、市街へ出ると、傷ついた人々、やけどを負い体が膨れた人々を目撃し、生きた心地がしなかった。自宅のあった幟町方面は火災で帰ることができないことを知り、やっとの思いで佐伯郡五日市町にあった親戚宅に辿り着いた。
煎茶道・華道の草庵流初代家元だった父親の悟(さとる)さん(当時50歳)は、幟町の自宅で被爆。倒壊した家の下敷となり、そのまま亡くなったと思われる。その後、火災が発生して自宅は焼失し、焼け跡から悟さんの遺骨が見つかった。
母親のタカさん(当時33歳)は、自宅の風呂場で洗濯中に被爆。ガラス片で腕に数か所切り傷を負いながらも倒壊した家から脱出した。倒れた家の前でしゃがんでいたところ、通りがかりの人に牛田方面へ連れて行ってもらい、火災に巻き込まれるのを免れた。
弟の學(まなぶ)さん(当時12歳)は、修道中学校1年生で、両親とともに自宅で被爆。原爆投下後、「あつい!!」と學さんが言ったのを母親のタカさんは聞いたが、タカさん自身も傷つき、牛田方面へ連れられて避難したため、學さんがその後どうなったのかは分からない。後日、自宅の焼け跡の近くで學さんのものではないかと思われる遺骨が見つかった。
ブロック別
展示説明文 松脇等さん 当時18歳
堀川町 爆心地より660m
「本屋へ行く」と告げたまま、行方不明になりました。
戦後、警察の記録により街の書店で遺体が収容されたことが判明しました。

等さんの卒業記念帖
(広島県師範学校附属小学校)
1939年3月
寄贈/松脇啓
展示説明文(英語) Hitoshi Matsuwaki
Then 18
Horikawa-cho 660m from the hypocenter
Hitoshi left the house saying, “I’m going to the book store,” and went missing.
After the war, his death was confirmed by a police record stating that his body was recovered in a book store in the downtown area.

Hitoshi’s Graduation Commemorative Book of Elementary School attached to Hiroshima Prefectural School for Education
March 1939
Donated by Akira Matsuwaki
資料性質 被爆関連資料

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