識別コード | 9199-0291 |
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資料名 | 生徒連絡票 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 長澤 博之(ナガサワ ヒロユキ) |
寄贈者(英語) | NAGASAWA Hiroyuki |
受入年月日 | 2016/8/24 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 130×364 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 皆実町 |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 1945年8月5日、官立広島師範学校予科2年生80人中70人は、奥海田村の山中で学校林を伐採していた。作業小屋に一泊し、翌6日朝、作業を開始して程なく、彼らはきのこ雲がもくもくと盛り上がるのを見た。 皆実町にあった寄宿舎に残っていた10人は、その内3人が寄宿舎近くの農場で作物の栽培をしており、残り7人は前夜の空襲警報で、代替で警備にあたっていたため、寄宿舎内で仮眠をとっていた。 長澤博之さん(当時15歳)もその一人だった。とっさに自習室の机の下にもぐったが、そのまま爆風で木造二階建ての寄宿舎は倒壊。長澤さんは30分くらい埋まったままになってしまった。隣で仮眠していた同室の友人は、その間ずっと長澤さんの足を掴んでいた。長澤さんが腰まで自力で這い出し、救助にきた級友たちに引っぱり出された時、その手が離れ、そのまま友人は出て来ることができなかった。 長澤さんは、皆実国民学校の校庭にできた臨時救護所で、顔に刺さったガラス片をとってもらい、応急処置を受けた。それから東雲の師範学校本校へ移動する途中、畑の中にいたたくさんの負傷者に「水をください」「助けてください」と言われたが、15歳の長澤さんにはどうすることもできなかった。 本校の武道場で3日ほど過ごした後、実家の呉に帰郷した長澤さんは、やっと家に着いた喜びと、安心と、疲労で倒れてしまった。 この生徒連絡帳は予備に携帯していたもの。被爆時は革トランクに入れて寄宿舎に置いており、戦後、級友たちが掘り起こして長澤さんの実家に送ってくれた。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |