トップページ被爆資料「原爆の子」の像・除幕式および記念行事(プログラム)
識別コード | 9199-0106 |
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資料名 | 「原爆の子」の像・除幕式および記念行事(プログラム) |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 地後 暢彦(ジゴ ノブヒコ) |
寄贈者(英語) | Nobuhiko Jigo |
受入年月日 | 2003/11/07 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 180×255 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 2歳のときに被爆した佐々木禎子さんは、10年後、突然白血病であると診断され、8ヵ月の入院生活の末に亡くなった。禎子さんが通っていた幟町小学校の同級生たちはその死にショックを受け、何か自分たちにできることはないかと考えた。その頃、禎子さんをはじめ原爆で亡くなったすべての子どもの霊を慰めるための記念の像を造らないかという話を持ちかけられ、運動が始まった。この運動は、やがて市内の小中高校を巻き込んだ大きな運動に発展し、約2年半後の1958(昭和33)年5月5日、「原爆の子」の像の除幕式が行なわれた。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 戦後資料 |