識別コード |
8205-0001 |
資料名 |
8月6日付の国鉄切符 |
資料名(英語) |
National railway ticket dated August 6 |
寄贈者(カナ) |
江木 マツ子(エギ マツコ) |
寄贈者(英語) |
Matsuko Egi |
受入年月日 |
1979/06/27 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) |
55×25 |
寸法(その他) |
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被爆地(旧町名) |
松原町 |
被爆地(現町名) |
松原町 |
爆心地からの距離(m) |
1900 |
数量 |
1 |
内容 |
江木マツ子さんは、8月5日、中国軍管区歩兵第一補充隊に召集されていた夫の数人さん(当時33歳)への面会と、己斐在住の実兄に会うため、口和から広島に来ていた。6日は、娘の千鶴子さん(当時1歳8ヶ月)を連れて、広島駅で汽車の待ち合わせをしていたときに被爆した。顔などに火傷を負ったマツ子さんは、芸備線づたいに徒歩で矢口まで逃れ、汽車に乗ったが意識不明となり、三次の学校に10日間程収容されていた。数人さんは基町で被爆したと思われるが、行方不明のままである。 |
ブロック別 |
牛田・広島駅周辺地区 |
展示説明文 |
江木マツ子さんは、娘の千鶴子さん(当時1歳8ヶ月)を連れて、広島駅で汽車を待っていたときに被爆しました。その後、広島駅から山越えをして、芸備線の矢口駅まで歩き、汽車に乗ることができたものの、意識不明となり、三次の学校に収容された。 |
展示説明文(英語) |
Matsuko Egi and her daughter Chizuko (then 20 months) were waiting for a train at Hiroshima Station when the bomb exploded. They climbed over the mountain near the station and walked to Yaguchi Station on the Geibi Line. They managed to catch a train, but when Matsuko fainted they were taken for help to a school in Miyoshi. |
資料性質 |
被爆資料 |