識別コード | 7205-0031 |
---|---|
資料名 | 体内に突き刺さっていたガラス片 |
資料名(英語) | Glass fragments removed from father's body |
寄贈者(カナ) | 伴場 幸吉(バンバ ユキヨシ) |
寄贈者(英語) | Yukiyoshi BANBA |
受入年月日 | 2013/02/21 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 13×10×7 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 水主町 |
被爆地(現町名) | 加古町 |
爆心地からの距離(m) | 1100 |
数量 | 1 |
内容 | 伴場幸朗さん(当時17歳)は水主町(現在の加古町)にあった警察学校の校舎内で被爆。頭から背中にかけてガラスが突き刺さり、建物の下敷きになった。なんとか這い出し2~3日かけて自宅のあった世羅郡世羅町へ戻り、自宅近くの診療所でガラスをとってもらった。とれたガラス片は46~47個もあり、治療をうけたものの、背中の傷はひどく、幸朗さんはその後2年ほど寝込んだ。このガラス片は幸朗さんの肩に入っていたもので、2012年(平成24年)9月8日幸朗さんが逝去し、火葬された後にでてきたもの。 |
ブロック別 | 吉島・舟入・観音地区 |
展示説明文 | 体内に突き刺さっていたガラス片 寄贈/伴場幸吉氏 爆心地から約1,100m 水主町(現在の加古町) 寄贈者の父・伴場幸朗さん(当時17歳)は、警察学校の校舎内で被爆しました。頭から背中にかけてガラスが突き刺さり、建物の下敷きになりました。なんとかはい出し、2,3日かけて自宅のあった世羅郡世羅町に戻り、近くの診療所でガラスを取ってもらいました。ガラス片は47個にもおよび、治療を受けたものの背中の傷はひどく、その後2年ほど寝込みました。 このガラス片は、被爆後62年たった平成19年(2007年)9月2日に頭から摘出されたものと、 もう一つは、肩に入っていたガラス片で、平成24年(2012年)9月8日、幸朗さんが逝去し、火葬された後出てきたものです。 |
展示説明文(英語) | Glass fragments removed from father's body Donated by Yukiyoshi Banba Approx. 1,100m from the hypocenter Kako-machi Yukiro Banba (then, 17), the donor's father, experienced the atomic bombing from inside the police academy. His head and back were riddled with fragments of glass and he was pinned under the collapsed building. Somehow managing to escape, he spent the next 2-3 days making his way to his home in Sera Town, Sera County. Once there, he visited a nearby clinic, where they removed 47 pieces of glass. Although he received treatment, the wounds on his back were especially serious and he spent the next 2 years confined to bed. This glass fragment was removed from Yukiro's head on September 2, 2007, 62 years after the atomic bombing. Yukiro died on September 8, 2007 and this other glass fragment, which had been imbedded in his shoulder, was found in his cremated ashes. |
資料性質 | 被爆資料 |