識別コード | 7205-0026 |
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資料名 | 体内から摘出されたガラス片 |
資料名(英語) | Surgically Removed Glass Fragments |
寄贈者(カナ) | 新谷 生子(シンタニ イクコ) |
寄贈者(英語) | Ikuko Shintani |
受入年月日 | 2006/07/21 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 28×15×3 |
寸法(その他) | 26×12×3 |
被爆地(旧町名) | 千田町一丁目 |
被爆地(現町名) | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離(m) | 1610 |
数量 | 2 |
内容 | 広島女子商業学校3年生だった新谷生子さん(当時15歳)は、学徒動員先である広島貯金支局2階で被爆した。作業前の準備中で、ちょうど部屋の中央辺りにいた生子さんは、ピカッと閃光を感じて、窓側へ顔を向けた。爆風に胸を押され、吹き飛ばされたことまでは覚えている。気が付くと、飛散したガラスを全身に浴びて、血だらけであった。非常口へ向かい、壊れた窓ガラスを乗り越えて、建物の外へと逃げ出した。翌日、運よく捜しに来た父鶴蔵さん(当時50歳)と姉に再会した。大怪我をした生子さんの変わり果てた姿に、最初は生子さんだと分からず、声で確認できたほどだった。生子さんの体からは次々とうみがでて、なかなかよくならなかったが、鶴蔵さんをはじめ家族が懸命に看病してくれた。体に無数に刺さったガラス片は被爆2~3年後から出始め、小さいものは、自然に出てきたものもあり、現在も出続けている。これは、1954(昭和29)年に手術で摘出したもの。外からでも分かるほど、突き出し、あたると激痛が走るため、手術で取り出した。生子さんは、その後も被爆が原因と思われる病に苦しめられ続けている。 |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |