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トップページ被爆資料体内から取り出されたガラス片

被爆資料

識別コード 7205-0024
資料名 体内から取り出されたガラス片
資料名(英語) Surgicall Removed Glass Fragment
寄贈者(カナ) 増田 房枝(マスダ フサエ)
寄贈者(英語) Fusae Masuda
受入年月日 2005/02/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 17×5×3
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 薬研堀町
被爆地(現町名) 薬研堀町
爆心地からの距離(m) 1100
数量 1
内容 大塚房枝さん(当時11歳)は、母親の秀子さん(当時31歳)や弟妹らとともに自宅で被爆しました。爆風で吹飛ばされて気を失い、気がついた時には約5メートルも飛ばされていました。天井や壁が落ちたものの家の倒壊は免れ、家族は無事でしたが房枝さんは右腕と左足に大けがを負っていました。房枝さんは秀子さんに背負われて一家は避難場所に決められていた鶴見橋西詰に逃れました。そこで家族は軍のトラックに収容され、青崎へ運ばれましたが出血のひどい房枝さんは動かすのが危険だと、そのままそこで知人が看病してくれました。このガラス片は、被爆から約10年後の1955(昭和30)年6月、病院で摘出手術を受けて取り出されたものです。
ブロック別 銀山・幟地区
展示説明文 体内から取り出されたガラス片
増田房枝氏寄贈
薬研堀町(現在の薬研堀町) 爆心地から1,100m
大塚房枝さん(当時11歳)は、母親の秀子さん(当時31歳)や弟妹らとともに自宅で被爆。気がついた時には爆風で約5メートルも吹き飛ばされていました。天井や壁が落ちたものの家の倒壊は免れ、家族は無事でしたが、房枝さんは右腕と左足に大けがを負っていました。房枝さんは秀子さんに背負われて逃れました。このガラス片は、被爆から約10年後の1955(昭和30)年6月、病院で摘出手術を受けて取り出されたものです。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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