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トップページ被爆資料33年目に取り出されたガラス片

被爆資料

識別コード 7205-0004
資料名 33年目に取り出されたガラス片
資料名(英語) Glass fragment removed from deep inside
寄贈者(カナ) 伊藤 悟(イトウ サトル)
寄贈者(英語) Satoru Ito
受入年月日 1978/07/07
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 千田町三丁目
被爆地(現町名) 千田町三丁目
爆心地からの距離(m) 2000
数量 1
内容 県立広島工業学校教師の伊藤悟さんは、学校内で被爆した。強い光を受け、ものすごい爆発音がした直後、爆風によって左半身を厚い一枚板でなぐられたような衝撃が走り、気を失った。気がつくと爆風で30メートルほど飛ばされていた。校舎は倒壊し、なんとか抜け出したが、ガラス戸の破片を浴び、全身血だらけだった。そのまま生徒や同僚の救出に走り回ったが、多くの人が目の前で亡くなった。被爆後33年目の1978(昭和53)年、左腕の皮膚を突き破って破片の一部が露出した。体内にガラス片が残っていたことを知り、手術で摘出した。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文 県立広島工業学校教諭の伊藤悟さん(当時41歳)は、学校内で被爆しました。強い光を浴びて爆発音がした直後、爆風によって左半身を厚い一枚板で殴られたような衝撃が走り、気を失いました。気がつくと爆風で30mも飛ばされていました。倒壊した校舎から何とか抜け出しましたが、全身にガラス片を浴びて全身血だらけになっていました。悟さんはそのまま生徒や同僚の救出に走り回りましたが、目の前で多くの人が亡くなりました。被爆後33年目の1978(昭和53)年、左腕の皮膚を突き破って破片の一部が露出しました。体内にガラス片が残っていたことを知り、手術で摘出しました。
展示説明文(英語) Satoru Ito (then 41) was a teacher at Hiroshima Prefectural Industrial School. He was exposed to the A-bomb in the school building. After the powerful flash and the roar of the explosion, the blast hit him from the left. The impact was like being whacked by a thick board. He lost consciousness. When he came to, he found he had been blown 30m. He managed to escape from the collapsed school building, but his whole body was pierced by glass fragments. He was covered with blood. He ran around helping students and colleagues, but many died before his eyes.
資料性質 被爆資料

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