識別コード |
7101-0080 |
資料名 |
医薬品(コータミン) |
資料名(英語) |
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寄贈者(カナ) |
眞田 寬一(サナダ カンイチ) |
寄贈者(英語) |
Kanichi Sanada |
受入年月日 |
1974/09/17 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) |
90×60×10 |
寸法(その他) |
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被爆地(旧町名) |
山口町 |
被爆地(現町名) |
銀山町 |
爆心地からの距離(m) |
1200 |
数量 |
1 |
内容 |
眞田寬一さんは、当時広島兵たん部所属の陸軍衛生曹長であり、駐屯していた山口町電停の南側の民家で被爆し、倒壊した家屋の下敷きになったが、かろうじて戦友と脱出した。そして、兵たん部の車庫から隊医きゅう2個を取り出し、戦友2人と担いで現場を離脱した。府中国民学校まで避難してここに1週間滞在し、隊医きゅうの中の医薬品を使って60人~70人の応急手当をした。これは、その隊医きゅうの中に入っていたもの。 |
ブロック別 |
銀山・幟地区 |
展示説明文 |
広島兵站部所属の陸軍衛生曹長の眞田寬一さんは、駐屯していた山口町の民家で被爆しました。倒壊した家屋の下敷きになりましたが、同僚と共に脱出し、兵站部の倉庫から隊医きゅう2個を取り出して府中国民学校まで避難しました。そこで眞田さんたちは、隊医きゅうの中の医薬品を使って負傷者の応急手当を行いました。 |
展示説明文(英語) |
Kan-ichi Sanada was a sergeant major in the Army Medical Corps attached to the Hiroshima Supply Depot. He was exposed to the A-bomb while stationed in a private home in Yamaguchi-cho.He was trapped under the house when it fell,but he and his comrades made their way out.They took two medicine boxes from the commissary warehouse and fled to Fuchu Elementary School.There,Kan-ichi used the medical supplies in the box to give first aid to the injured. |
資料性質 |
被爆資料 |