識別コード | 5206-1593 |
---|---|
資料名 | 瓦片 |
資料名(英語) | Piece of Roof Tile |
寄贈者(カナ) | 伊塚 シズノ(イヅカ シズノ) |
寄贈者(英語) | Shizuno Izuka |
受入年月日 | 2002/07/24 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 75×55×20 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 幟町 |
被爆地(現町名) | 幟町 |
爆心地からの距離(m) | 1000 |
数量 | 1 |
内容 | 伊塚太四郎さん(当時44歳)は、召集先の幟町国民学校の玄関先で被爆した。建物の下敷きとなり、かろうじて脱出したときには、体に破片が無数に突き刺さり、顔は大火傷、髪の毛は抜け、全身の皮膚が垂れ下がっていた。治療も受けられないまま避難先で一夜を明かし、翌日妹宅にたどり着いた。連絡を受けた妻のシズノさん(当時33歳)が家に連れ帰り、懸命に看病したが、8月23日、妻と幼い子どもたち4人を残し、苦しみぬいて死亡した。この瓦片は、太四郎さんが所属していた部隊の隊長が、太四郎さんが被爆した幟町国民学校の焼け跡で拾い、届けてくれたもの。太四郎さんの死後、シズノさんはこれを形見代わりとして大事にしていた。 |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
展示説明文 | 伊塚太四郎さん(当時44歳)は、幟町国民学校で被爆しました。建物の下敷きとなり、脱出したときには、ガラスの破片が体に無数に突き刺さり、顔には大やけど負い、全身の皮ふが垂れ下がっていました。連絡を受けた妻のシズノさん(当時33歳)が、翌日妹宅にたどり着いていた太四郎さんを家に連れ帰り、懸命に看病しましたが、8月23日、妻と子ども4人を残し、亡くなりました。この瓦片は、幟町国民学校の焼け跡で拾ったもので、シズノさんはこれを太四郎さんの形見として大事にしていました。 |
展示説明文(英語) | Tashiro Izuka (44) was exposed at Nobori-cho Elementary School. He was trapped under the building. Digging his way out, he found his body embedded with countless glass fragments, his face burned, and peeling skin all over his body. The next day, he made it to his younger sister's house, where his wife, Shizuno, (then, 33) came to bring him home. Shizuno did all she could to save him, but he died on August 23 leaving her and four children. This roof tile was found in the burned ruins of Nobori-cho Elementary School. Shizuno kept it in memory of Tashiro. |
資料性質 | 被爆資料 |