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被爆資料

識別コード 5205-0162
資料名 瓦礫
資料名(英語) Rubble
寄贈者(カナ) 田城 経子(タシロ ケイコ)
寄贈者(英語) Tashiro Keiko
受入年月日 2001/07/03
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 220×160×90
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 小村スエノさんは打越町の自宅で被爆した。スエノさんは無事だったが、市内で被爆して行方の分からなくなった娘の尊美子さんとヨシエさんを探して市内を歩き回った。必死の捜索でヨシエさんが海田のお寺に収容されているのを発見したが、ヨシエさんはすでに亡くなっていた。畳には、ヨシエさんの遺体から染み出した油がじっとりと染みつくほどの大けがであった。水主町で建物疎開作業中に被爆した尊美子さんは現在も行方不明のままである。これは寄贈者の田城経子さんが1948(昭和23)年頃、市内で収集したもので、大切に保管していた。
ブロック別
展示説明文 小村スエノさんは、爆心地から約2,000メートルの打越町の自宅で被爆しました。スエノさんは無事でしたが、娘の尊美子さんとヨシエさんは市内で被爆し、行方が分からなくなりました。スエノさんは必死の捜索で、ヨシエさんが郊外のお寺に収容されているのを発見しましたが、ヨシエさんはすでに亡くなっていました。畳にはヨシエさんの遺体から染み出した体液がじっとりと染み付いていました。尊美子さんは水主町の建物疎開作業現場で被爆したと思われますが、現在も行方不明のままです。これは戦後焼け跡で収集したもので、嫁の経子さんが大切に保管していました。
展示説明文(英語) Sueno Komura was exposed at home in Uchikoshi-cho about 2,000 meters from the hypo-center.She was safe,but her daughters Kimiko and Yoshie were exposed in the city and disappeared.Sueno searched for them desperately.When she finally found Yoshie in a temple in the suburbs,her daughter was already dead.Fluids seeping from Yoshie's body had stained the tatami mat on which she lay.Kimiko was believed to have been exposed at her building demolition work site in Kako-machi,but how and where she died was never known.Sueno's daughter-in-law Keiko carefully preserved this piece of rubble found among the ruins after the war.
資料性質 被爆資料

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