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被爆資料

識別コード 5205-0161
資料名 瓦礫
資料名(英語) Rubble
寄贈者(カナ) 泰田 康二朗(タイダ コウジロウ)
寄贈者(英語) Taida Koujirou
受入年月日 2001/07/02
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 250×170×100
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量
内容 爆心地から約750mの猫屋町の自宅では、父親の泰田徳三郎さん(当時54歳)と長男で県立広島商業学校3年生の晃徳さんが被爆した。たまたま疎開へ行っていて無事だった母親の瀧子さんは市内の状況を聞いて被爆の3日後に入市したが、あたり一面焼野原で、自宅の焼け跡も立っていられないほどだった。14日に再び入市し、自宅を掘り起こしたところ、徳三郎さんの遺骨が発見されたが、同じく自宅で被爆死したと思われる晃徳さんは、結局遺骨すら確認することができなかった。これは一面の焼け野原から拾ったもの。
ブロック別
展示説明文 爆心地から約750メートルの猫屋町の自宅では、父親の泰田徳三郎さん(当時54歳)とその息子で県立広島商業学校3年生の晃徳さんが被爆しました。たまたま疎開先に行っていて無事だった妻の瀧子さんは、3日後にようやく市内に入ることが出来ましたが、あたりは一面の焼け野原で、徳三郎さんらを見つけることは出来ませんでした。14日に親類が集まって自宅の焼け跡を堀り起こしたところ、徳三郎さんの遺骨が発見されました。晃徳さんは現在も遺骨さえ見つかっていません。これは、焼け野原で収集したものです。
展示説明文(英語) Father Tokusaburo Taida(54)and son Akinori,a third-year student at Hiroshima prefectural Commercial School,were both exposed at home in Nekoya-cho,about750 meters from the hypocenter.Tokusaburo's wife Takiko survived because she happened to be at her evacuation site that day.She managed to enter the city three days later,but the city was nothing but a pile of rubble.She was unable to find her husband and son.On the 14th,the relatives gathered to dig into the rubble for their remains.They found Tokusaburo's bones,but Akinori's were never found.This piece was found in the rubble.
資料性質 被爆資料

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