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トップページ被爆資料軒瓦

被爆資料

識別コード 5203-0121
資料名 軒瓦
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 茂住 三千子(モズミ ミチコ)
寄贈者(英語) MOZUMI Michiko
受入年月日 2014/8/5
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 110φ×20
被爆地(旧町名) 白島西中町
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m) 1650m
数量 1
内容 寄贈者の母・永井富美子(ながいふみこ)さんが、自宅焼け跡で集めたもの。永井富美子さん(当時23歳)は、新婚の夫・幸雄さん(当時24歳)を送り出した後、掃除をしているときに被爆した。爆風でつぶれた家の下敷きになり、頭や腕を血だらけにしながらも夢中で外に這い出し、はだしのまま北に向かって走った。そのうち「機銃掃射があるから遠くへ離れろ」と言われ、皆についてさらに北に逃げた。気が付いて牛田町の叔父夫婦の家に行こうと思った時には、すでに遠くに来てしまっており、一晩中、負傷者の救護にあたることとなった。
幸雄さんは矢賀町の国民学校で被爆。「ピカッ」とものすごい閃光が走り、目の前の鉄道工場が一瞬でつぶれ、もうもうたる粉じんを上げるのが見えた。「広島が火の海だ」と聞き、自宅に残した富美子さんのことが心配になり、許可を得て帰宅することにした。すでに午後9時を過ぎていたが、幸雄さんは無我夢中で広島まで走り続けた。広島はものすごい火炎をあげて燃え続けており、大変な数の死体とさまよう重傷者で街中は地獄だった。7日午前5時、自宅のあったあたりにたどり着くと、家は燃え尽きていた。幸雄さんは、自宅焼け跡から富美子さんが逃げたであろう跡を、富美子さんを捜しながらたどった。一日中捜しまわっても見つからず、その日はあきらめて叔父夫婦の家に泊まった。8日朝6時、幸雄さんが富美子さんを捜しに行こうと脚絆を巻いていると、やっと叔父夫婦の家にたどり着いた富美子さんと喜びの再会をすることが出来た。その後富美子さんは体調不良となったがなんとか回復し、戦後、これらの品を亡くなるまで大切にしていた。
ブロック別 基町・白島地区
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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