識別コード | 5202-0038 |
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資料名 | 丸瓦 |
資料名(英語) | Round Roof Tile |
寄贈者(カナ) | 吉川 清(キッカワ キヨシ) |
寄贈者(英語) | Kiyoshi Kikkawa |
受入年月日 | 1984/11/12 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 270×140×60 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の吉川清さんが1951年頃から原爆ドーム付近を中心に市内中心部で収集した資料。爆心地から600メートル以内の瓦は、直接熱線を受けた部分の表面が溶けてぶつぶつの泡状になった。爆心地から1500メートルの自宅で被爆した吉川清さん(当時33歳)は、背後から熱線を浴び、両腕と背中の皮膚が焼けて垂れ下がるほどの重傷を負った。その後広島赤十字病院に入院し、5年間に合計16回にも及ぶ皮膚移植手術を受けた。入院中の1947(昭和22)年4月、外国記者団の取材を受け、自らのケロイドの撮影に応じ、その写真は海外で大きな反響を呼んだ。その後は修学旅行生らに被爆体験を語り、生涯を平和活動に捧げた。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | ①爆心地から約600メートル以内の屋根瓦は、強烈な熱線を受けた表面だけがガラス状となり、火ぶくれ現象(表面の泡状のもの)が生じました。瓦と瓦が重なっていた部分や他のものの陰となっていた部分は全く影響がみられないことが特徴となっています。 ②1951(昭和26)年頃から市内中心部で収集した資料です。爆心地から約600メートル以内の瓦は、直接熱線を浴びて両腕と背中の皮膚が垂れ下がるほどの大火傷を負いました。その後、広島赤十字病院に入院し、5年間に合計16回にも及ぶ皮膚移植手術を受けました。吉川さんは入院中の1947(昭和22)年4月、外国記者団の取材を受け、自らケロイドの撮影に応じ、その写真は海外で大きな反響を呼びました。その後は修学旅行生たちに被爆体験を語り、生涯を平和活動に捧げました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |