識別コード | 1204-0041 |
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資料名 | 印鑑 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 中光 智津子(ナカミツ チヅコ)、中光 真弓(ナカミツ マユミ) |
寄贈者(英語) | NAKAMITSU Chizuko、NAKAMITSU Mayumi |
受入年月日 | 2023/10/06 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 10×35×10 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 堺町三丁目 |
被爆地(現町名) | 堺町二丁目 |
爆心地からの距離(m) | 900 |
数量 | 1 |
内容 | 中光哲郎さん(当時45歳)は妻・マサヨさん(当時42歳)とともに、堺町三丁目で工場用の砥石や研磨するものを作る中光商店を営んでいた。 8月6日の朝、マサヨさんは実家に向かうため汽車に乗っており、海田市付近できのこ雲を見た。8月8日ようやく戻った自宅周辺はまだ熱く、火が残っていた。マサヨさんは自宅焼け跡から、長女の節子さん(当時18歳)の遺骨を見つけた。遺骨にはいつも節子さんが髪につけていたピンがくっついていた。マサヨさんは節子さんの遺骨を抱いて、次女と三女が疎開していた甲山町の疎開先へ向かった。8月13日、マサヨさんは哲郎さんを捜すため再び入市。自宅焼け跡で白骨化した哲郎さんの遺骨を見つけた。遺骨のわきの下にはこの印鑑があり、遺骨とともに疎開先へ大切に持ち帰った。 その後、中光商店の従業員だった紺谷準一さん(当時23歳前後)が、甲山町の疎開先まで哲郎さんと節子さんの被爆状況を伝えに来てくれた。紺谷さんによると、8月6日の朝、哲郎さんは「仮眠をとる」と自宅1階で横になっており、節子さんは2階の鏡台の前で髪を整えていた。紺谷さんは掃除をしながらそんな二人を見ていたが、被爆の瞬間、畳の影にいたためどうにか助かったという。どうにか哲郎さんらの最後の様子を知らせねば、という一心で甲山町へ来てくれた紺谷さんは、けがはなかったもののとても怠そうで、その時すでにまっすぐ座っていられないような状態で、それから間もない8月16日に亡くなった。 マサヨさんらは、紺谷さんがそのような体でも哲郎さん、節子さんの事を知らせに来てくれたことに、生涯感謝し続けていた。 |
ブロック別 | 6.十日市・中広地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |