識別コード | 7205-0037 |
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資料名 | 体内から取り出されたガラス片 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 髙橋 幸子(タカハシ サチコ)、髙橋 美惠子(タカハシ ミエコ) |
寄贈者(英語) | TAKAHASHI Sachiko、TAKAHASHI Mieko |
受入年月日 | 2023/09/21 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 6×2×1 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 雑魚場町 |
被爆地(現町名) | 国泰寺町一丁目 |
爆心地からの距離(m) | 900 |
数量 | 1 |
内容 | 県立広島第一中学校1年生の髙橋茂さん(当時12歳)は、動員学徒として建物疎開作業の待機中に校舎内で被爆した。校舎の下敷きになり、顔はべっとりと血で濡れていたが、同級生たちが引っ張ってくれ、脱出することができた。その後、御幸橋西詰の交番前まで避難し、似島へ収容された。8月10日、捜しに来た父・一二さんと再会、暗くなりかけたころ、帰宅することが出来た。家族皆、涙を流して喜んでくれたが、中でも母・清子さんの喜びは大きかった。 翌日から傷の手当てが始まったが、茂さんの傷は大きく、頭の二か所の傷は骨が見え、ガラスの破片が出てきた。額、喉、左ひじにも傷があり、右頬は打撲で腫れ上がっていた。歩く気力もなくゴロゴロと寝ていると、やがて脱毛・発熱・下痢と病状は悪化し、生死の境をさまよったが、両親の昼夜を問わぬ必死の介護により一命を取り留めた。 このガラス片は、被爆から10年あまり経った頃、左ひじから摘出したもの。茂さんは、戦後も様々な病気を患い、原爆症に苦しんだ。 |
ブロック別 | 5.国泰寺・千田地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |