識別コード | 2101-0954 |
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資料名 | 皿 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 齊藤 牧子(サイトウ マキコ) |
寄贈者(英語) | SAITO Makiko |
受入年月日 | 2023/09/01 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 220×30×220 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 鉄砲町 |
被爆地(現町名) | 八丁堀 |
爆心地からの距離(m) | 860 |
数量 | 1 |
内容 | 被爆により全壊全焼した川越旅館の焼け跡から収集したもの。川越旅館では、経営者の川越ナミヱさん(当時61歳)と息子の妻の三千子さん(当時22歳)が被爆した。 川越さんの一家は自宅兼用だったこの旅館を離れ、普段は広島市郊外の可部へ疎開していたが、被爆前日の8月5日から二人は自宅に戻っていた。原爆の投下により家屋は倒壊、ナミヱさんと三千子さんは下敷きになり、三千子さんは逃れることができないまま亡くなった。どうにか脱出したナミヱさんは、避難する途中、建物の下敷きになった人から、この子だけは助けてほしいと赤ちゃんを託された。 猛火に追われて逃げるうち、偶然息子の研三さん(当時31歳)に出会い、ナミヱさんらが家族の疎開先へようやくたどり着いたのは、8月7日夕方近くだった。 しばらくは元気だったナミヱさんは、やがて脱毛や吐血、下血などの症状がみられるようになり、懸命な看病を受けたが、家族に見守られる中、9月8日夜に亡くなった。 ナミヱさんが託された赤ちゃんも、どうにか脱出してきた母親と再会できたものの、亡くなった。 戦後、研三さんが原爆について語ることはほとんどなかった。 |
ブロック別 | 3.銀山・幟地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |