識別コード | 9201-0178 |
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資料名 | 絵日記 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 本多 美佐(ホンダ ミサ) |
寄贈者(英語) | HONDA Misa |
受入年月日 | 2022/07/27 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 183×135 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 天津裕さん(当時8歳)は、1945年(昭和20年)7月から安佐郡亀山村大毛寺に疎開していた。 8月6日の日記には、落下傘を見たことが書かれている。 祖母の千代野さんは、左官町(現在の本川町)の自宅で被爆。焼け跡から遺骨が見つかった。 裕さんの絵日記より 「八月六日 月曜日(晴) てっきがきて、かめ山へらくかさんを三つ落した。廣島へもはじめての、しん兵きをつかって、ばくげきした。らくかさんが、あまり近いところに落ちたので、兵たいさんが、持っていかれるまでは、四年生の寺田君の家にとまらしてもらうことになった。 八月十日 金曜日(晴) おばあちゃんの、おこつが、今日かへった。 これまで、おかあちゃんや、おねえちゃんがさがしに行かれたのですが、みつからなかった。 ぼくはかなしかった。」 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 戦中資料 |