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被爆資料

識別コード 4201-0097
資料名 サーベル
資料名(英語) Saber
寄贈者(カナ) 濱田 敏夫(ハマダ トシオ)
寄贈者(英語) HAMADA Toshio
受入年月日 2015/2/26
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 855×85
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 1945年(昭和20年)当時、草津でかまぼこ製造業を営んでいた濱田家には、東京から単身赴任できていた陸軍司令官が滞在していた。司令官は、8月6日、馬車で送迎中に被爆したと思われるが詳細は不明。被爆後、司令官の妻が東京からやって来て、夫(司令官)を捜したが見つけることができず、唯一見つけたこのサーベルを、お世話になったお礼として、濱田家に置いて帰っていった。その後、サーベルは記念として、紙に包んで家の押し入れの中に大切にしまっていたが、70年のけじめとして寄贈を決意した。寄贈者の濱田敏夫さんは、国民学校の帰りに司令官に会うと「乗っていけ!」と馬車に乗せてもらったりしていたという。
ブロック別
展示説明文 サーベル
寄贈/濱田敏夫氏
当時、草津でかまぼこ製造業を営んでいた濱田家には、東京からきた陸軍司令官が滞在していました。司令官は8月6日、馬車で送迎中に被爆したと思われますが、詳細は不明です。
被爆後、司令官の妻が東京から夫を捜しに来ましたが、見つけることができず、唯一見つけたこのサーベルを、お世話になったお礼として、濱田家に置いて帰りました。
その後、このサーベルは記念の品として濱田家で保管されてきました。
展示説明文(英語) Saber
Donated by Toshio Hamada
The Hamada family, a kamaboko (fish-sausage) maker in Kusatsu, was billeting a commander of the Army Headquarters from Tokyo those days. The commander was thought to have been exposed to the atomic bomb while being transported to the Headquarters in a horse-drawn carriage. The details, however, remain unknown.
After the war, his wife came to Hiroshima from Tokyo to search for him, but she could find nothing except this saber. In appreciation of the Hamada family having taken care of him, his wife presented the saber to the family.
The Hamada family kept this saber as a memento to this day.
資料性質 被爆資料

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