識別コード | 0103-0081 |
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資料名 | 人形 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | Larry Bonds(ラリー・ボンズ) |
寄贈者(英語) | Larry Bonds |
受入年月日 | 2021/07/02 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | Joseph F Bonds(ジョセフ・F・ボンズ)さん(当時21歳)は、アメリカ陸軍の兵士として1945年10月から翌年1月までの間、広島に滞在した。これはその間に収集した人形。 *ジョセフさんの手記より抜粋 私たちは被爆した街を見たー燃えるものは全て燃え尽きていた。広島の中心に立ち、周囲の山々を見まわしながらこう思ったのを覚えているー「ハエの一匹も生きてはいまい」。 私たちは被爆者たちー彼らは広島の病院に収容されていたー目の見えない子供や大人を見た。彼らの皮膚には、皮膚を挟んだ時にできる血豆のような、赤くて醜い腫れ物ができていた。ただ、その大きさは凄まじかった。草木は50年か、それ以上生えないだろうと言われた。さらに後に、私たちは恐らく不妊になり子どもを持つことはできないだろうと言われた。妻が妊娠し健康な赤ん坊を産んでくれた時、私はとてもうれしかった。 最初は、原爆で破壊された街には誰も住んでいなかったが、私たちが去るころにはバラックが建ち、人々は戻りつつあり、草も生え始めていた。 時が経つにつれ、広島の被爆者たちは癌で死んでいった。私の同僚の多くも癌で死んだ。 カメラとフィルムが送られてきたので、時々私たちは被爆した場所に行き写真を撮った。放射線でフィルムがダメになった。私が持っている数枚の写真は、次第に色褪せていっている。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 |