識別コード | 4101-0017 |
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資料名 | 焼けただれた仏像の一部 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 本田 俊夫(ホンダ トシオ) |
寄贈者(英語) | Toshio Honda |
受入年月日 | 1995/09/21 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 85×92×167 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 大手町四丁目 |
被爆地(現町名) | 大手町二丁目 |
爆心地からの距離(m) | 470 |
数量 | 1 |
内容 | 寄贈者の本田俊夫さん(当時36歳)が自宅焼け跡で拾い集めたもの。本田家では、俊夫さんを含め同居していた親族計8人のうち、自宅にいた長男鶴蔵さん(当時53歳)、鶴蔵さんの長女忍さん(当時19歳)、三男収蔵さん(当時48歳)、次女シゲさん(当時46歳)、次男の妻マサコさん(当時41歳)の5人が被爆死した。その遺体は、広島駅で被爆したものの、なんとか助かった俊夫さんが発見した。俊夫さんは8人兄弟姉妹の末っ子で、戦前から3人の兄たちと広島の特産品を扱う商店を営んでいたが、原爆ですべてを失った。俊夫さんは、これらを何度も捨てようとしたが、亡くなった人の無念さを思うとどうしても捨てることができなかったという。 |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
展示説明文 | 自宅の焼け跡で拾い集めたものです。当日広島駅で被爆した本田俊夫さんは無事でしたが、同居していた家族8人のうち、自宅にいた兄や姉など5人が被爆死しました。8人兄弟の末っ子だった俊夫さんは、戦前兄弟と共に広島の特産品を扱う商店を営んでいましたが、原爆で全てを失いました。食器類はいつも使っていたもので、何度も捨てようとしましたが、亡くなった人の無念を思うとどうしても捨てることが出来ず、大切に保管していました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |