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被爆資料

識別コード 3599-0010
資料名 人形
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 濱田 良子(ハマダ リョウコ)
寄贈者(英語) HAMADA Ryoko
受入年月日 2014/9/3
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 25×65×5
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 鶴見町
被爆地(現町名) 鶴見町
爆心地からの距離(m) 1500m
数量
内容 寄贈者の姉・濱田満子さん(当時13歳)は、広島女子商業学校1年生で、動員学徒として鶴見橋西詰の建物疎開作業現場で作業中に被爆。翌7日、父親の良一さんと母親のミヨノさんは、狩留家村の自宅から満子さんらを探して入市した。必死に探したが見つからず、薄暗くなってきて、やむを得ず自宅へ帰ろうと矢賀駅へ戻ったところ、「狩留家のハマダミチコさんを預かっている」という男性に出会い、全身真っ黒焦げの大やけどを負って二葉山で倒れている満子さんを見つけた。満子さんは、「おかあちゃんに会えて嬉しいよ・・・」と喜び、8日、両親に連れられて、狩留家村の自宅に帰った。医師に往診してもらったが、赤チンを塗るくらいの手当てしかできず、ミヨノさんが付きっきりで看病した。全身に大やけどを負った満子さんの傷からは、脱脂綿で抑えても、血とウミが吹き出した。見舞いに来た近所の人の様子から、自分の容体を察した満子さんは、「私が死んだら、おかあちゃんをみる人がおらんようになるねえ」と話した。髪の毛が抜けてしまった満子さんはそれでも生きる望みは捨てず、毎年10月に行われる秋祭りまでには、髪の毛が伸びるかな・・・と語った。しかし、満子さんは、8月19日午前亡くなった。小町の勤務先で被爆した兄の才さん(当時17歳)も同日午後亡くなり、二人の子どもを一度に亡くしたミヨノさんは、倒れてしまった。その後ミヨノさんは朝晩の読経を欠かさず、遺品を大切に守り続け、2003年(平成15年)に98歳で亡くなるまで、生涯ずっと子どもたちのことを忘れることはなかった。
ブロック別 国泰寺・千田地区
展示説明文
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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