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被爆資料

識別コード 3506-0093
資料名 帽章
資料名(英語) Seal Used for Work
寄贈者(カナ) 大咲 春雄(オオサキ ハルオ)
寄贈者(英語) OSAKI Haruo
受入年月日 2017/7/13
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 35×30×18
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 南観音町
被爆地(現町名) 観音新町四丁目
爆心地からの距離(m) 4500
数量 1
内容 崇徳中学校4年生だった大咲春雄さん(当時16歳)は、学徒動員先の三菱重工業広島機械製作所で被爆。
その瞬間、ギラギラギラッと電気がショートしたような青紫色のものすごい閃光が走った。驚いてあたりを見回すと、北側の窓は真っ赤になり、南側の窓は太陽の一万倍くらいの明るさで真っ白に見えた。何が起きたのか分からないまま、雷にあったような大音響と強烈な爆風に襲われ、春雄さんたちは地面に叩きつけられた。気づいた時には、壁や屋根のスレートは全部吹き飛ばされ、鉄骨だけが残っていた。「危ない!!」と皆で防空壕に逃げ込んだが、停電で機械の全部止まった工場はシーンと静まり返っていた。
1時間ほど後、春雄さんたちが壕を出ると、市内方面は猛烈な火災に包まれ、巨大なきのこ雲とものすごい煙がモクモクと湧き上がっていた。
広島市郊外の可部町の自宅へ向かって歩き始めたが、全市が火の海に包まれ、とても通ることができないので、川を渡って市内西部の己斐町へ逃れた。途中、黒い雨に打たれて、全身びしょ濡れになりながら、級友たちと一緒にくすぶる街を走り抜け、徒歩で自宅に帰り着いたのは午後2時か3時頃だった。
春雄さんは、8月9日、病院に収容されていた父・伊太郎さんを迎えに行った際に見た光景が忘れられない。真夏に3日も野ざらしにされた遺体は腐敗してチョコレート色になり、聞こえるのは負傷者たちの「ウゥゥ…、ウゥゥ…、水をくれ…」といううめき声だけ。二人の兵士が手足を持って、「せーの!!」と振りを付けて遺体を2~3メートルの高さに盛り上げていた。遺体は腐敗してずるずるで、手を持っても足を持っても肉が骨からずるっとむけていた。
正に地獄、未だに忘れられない地獄の光景であった。どうにか自宅に帰り、家族の必死の看病を受けていた父・伊太郎さんも、8月14日午前4時頃、家族が見守る中亡くなった。
これは春雄さんが被爆時に身に着けていたもの。中学3年生のころ、級友からもらったステンレス版で自分で作ったものだった。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 銀行行章 執務印鑑
寄贈 大咲春雄
大咲伊太郎さん(51)は芸備銀行本店へ出勤する途中、電車の中で被爆。
3日後、知らせをうけた妻が赤十字病院へ駆けつけると、伊太郎さんは、首筋に5~6個の大豆大のガラス片がめり込み、ウンウン唸りながら横になっていた。
8月14日午前4時ごろ、家族に見守られる中、自宅で死亡。

伊太郎さんはこの行章と印鑑を、いつも上着のポケットにいれていた。
展示説明文(英語) Bank Badge and Seal Used for Work
Donated by Haruo Osaki
Itaro Osaki (51) was exposed to the bombing on a train on his way to work at the head office of Geibi Bank.
Informed of his whereabouts three days later, his wife rushed to the Red Cross Hospital, and found Itaro with five or six glass fragments the size of each a soybean on his neck. He was groaning on a bed.
At around 4:00 a.m. on August 14, he died at home with his family by his side.

Itaro always had this badge and this seal in a pocket of his jacket.
資料性質 被爆資料

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