識別コード | 3506-0077 |
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資料名 | 校章 |
資料名(英語) | School badge |
寄贈者(カナ) | 平原 義春(ヒラハラ ヨシハル) |
寄贈者(英語) | Yoshiharu HIRAHARA |
受入年月日 | 2012/08/06 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 16×24×5 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 上流川町 |
被爆地(現町名) | 上幟町 |
爆心地からの距離(m) | 1050 |
数量 | 1 |
内容 | 広島女学院高等女学校3年生だった益田律子さん(当時16歳)は、動員学徒として同校内の広島鉄道局審査課に動員中に被爆。倒壊した校舎の下敷きになり、背中にはガラスが突き刺さったが、軍人に助けられ火が廻る前にどうにか脱出した。級友たちの中には、倒壊した校舎から逃れることもできず、亡くなった人も多かった。川沿いへと逃れた律子さんは、熱さに耐えかねて川へ逃れた無数の負傷者が川を流れて行くのを見た。やがてそこも危ないと言われ、律子さんは西練兵場へ逃れ、一夜を明かした。翌7日、自宅へ帰ろうと宇品海岸へ向かった律子さんは、途中、宇品方面から家族を捜しに来たが見つからなかったという人に、宇品に帰るのならばと助けられ、自転車に乗せてもらって自宅に帰ることができた。幸い大きなやけど等はなかったが、体調を崩した律子さんは、吐血などを繰り返した。医者はいても薬はなく、米と引き換えに薬を打ってもらったり、輸血しようにも血液はなく、馬の血を輸血してもらってしのいだりしたが、戦後も体調はなかなかすぐれなかった。 |
ブロック別 | 銀山・幟地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |